今回は私がイオンを辞めるまでのお話をしようと思います。
まずは、こちらを読んでいただきたいと思います。
6時から出勤なので、朝は4時起きでした。
家に帰るのは22時過ぎという、当時はさほど珍しくもなかったのですが、今では厳しく取り締まっているらしいので、逆に家に持ち帰ってからの仕事が多いと思われます。
休みの日も仕事で仕事でした。
仕事がない日は昇格試験の勉強に当てており、毎日イオンを従業員として日々を過ごしていました。
いつしか私はそれが充実を勘違いをしてしまい、恋人とも疎遠になり、友人も少なくなり、
話し相手は仕事仲間だけになりました。
むしろ、仕事に打ち込んでいる私は生き生きしているというぐらいにしか思っていませんでした。
やったらやった分だけ成果は返ってくるもので、入社して最短でM1(今でいうG4)まで駆け上がり、主任にもわずか2年半でなり、社長賞も一回ですがとり、イオンビジネススクールではA評価。
当時は課長代行というポジションがあり、わずか5年目でそこまで行きつきました。
当然、7年目にはM2(今でいうG5)になり、小型店の食品の課長として活躍していました。
そして、中型店の課長として配属になり、少しずつ歯車が変わり始めました。
配属先の上司(店長)は女性の店長で、部下の主任たちも全員年上で癖のある人たちばかりでしたが、仕事熱心できっといい環境と数字が作れると思っていた春先の事でした。
私は当時管理職だったので、残業時間が45時間超えないとつかなかったのですが、このあたりから管理職も残業を控えるようにというお達しが出てくるようになりました。
同じように部下の主任やリーダーたちも30時間を超えてはいけないから、25時間を超えてはいけないという、より残業代を渋るような動きが活発になってきました。
そうなると、サービス残業になるわけですが、上司の女性の店長はそれを断固としてよしとはせずに、サービス残業を禁止に、部下には定時であがるようにという指導をされました。
私も立場があったので、部下には残業をしないように、仕事が終わらなければ私に引き継ぐようにと教育していたのですが、年下の上司に仕事を押し付けられないと思ったのか、私ががまだ若いのか頼りないのか分かりませんが、全員自分の仕事を手放しませんでした。
結局、これまで通りサービス残業をするのが当たり前の日常に戻り始めたときの事でした。
イオン110当番に電話があったのです。
ここから先はすこしディープな内容になりますので、noteのほうで続きを書きます。
お値段は少し高めに設定させてもらいます
というのも、興味本位で読んで損したと思うかもしれないと思う方は読まない方がいいと思うからです。
https://note.com/hitokurasadame/n/n93096061f5f2